【GATEと人】#2 シーシャカフェから表現者を支えたい 宮城慎梧さん – 瀬戸内ワークスレジデンス GATE|地域とつながるシェアハウス

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【GATEと人】#2 シーシャカフェから表現者を支えたい 宮城慎梧さん

こんにちは!瀬戸内ワークスレジデンス「GATE」のSNSプロモーターを務めている中村彩です♪

もうすっかり春ですね。私はというと、今年もまた春服を買う季節を逃してしまい、みんなより分厚い服で春を過ごしています。年々春と秋の季節が短くなってる気がするのは私だけでしょうか。。。なんてことをグダグダ考えていたらすぐに夏になるんでしょうね。

 

お小言はここまで(笑) 私の仕事は、SNSを通じてGATEの魅力をたくさんの人に伝えることです。

そんな私が思うGATEの一番の魅力は、ただ宿泊するだけでなく地域の人との繋がりを生み、地域コミュニティに入る玄関口になっていること。「GATEと人」シリーズでは、GATE宿泊者との交流が多く、三豊市で魅力的な活動をしている人にスポットライトを当て、その人の過去・今・未来を長編記事でご紹介しています。

第2回目は、GATEのコミュニティマネージャーで、シーシャカフェYUKURUを営んでいる宮城慎梧さん。

沖縄県出身。学生時代から地域に関する探究活動をしていて、沖縄が大好きだと語るしんごさんが三豊に来るまでにどんなストーリーがあったのでしょうか。

 

ハッピー野郎な少年時代

「小さい時の記憶があんまりなくて、思い出せても小学校4年生の時かな(笑) とにかくおしゃべりで、人にちょっかいを出すといえば僕って感じでした笑

家庭環境はとても良くて、親はいつもいろんな機会を与えてくれました。野球をやったり英会話をやったり、、、あんまり人には言ってないけど、実はドラムもできるんですよ。

5年生の頃だったかな。野球チームの同級生にめちゃめちゃガキ大将がいたんです。俺がおしゃべりだったからかそいつにめっちゃウザがられちゃって。同級生4人みんなから無視された時期があったんだよね。でも、それは少し時間が経って振り返った時に気づいたことで。
当時は、『どうせみんな俺のこと好きなんでしょ』『好きだから無視してるんでしょ』って感じで、無視してくるやつの正面に立ってひたすら喋りかけてクスって笑わせてた。いじめられてるのにそれに気づかないくらいにはハッピー野郎だったな〜」

 

強さを得て失敗した記憶

「中学受験をして、お姉ちゃんと同じ学校に入りました。学力で言えば県トップの私立一貫校。

入学時は今までと変わらずハッピー野郎なウザいやつのままで。周りから嫌われることもありました。

中学1年から2年に進級するくらいのタイミングで『強くなりたい』ってめっちゃ思ったんだよね。人から嫌われるという弱い状態から脱却して、学校の中にあるカーストの上にいきたい、みたいな考えからそう思ったんだと思う。
願い通り中2の時にはクラスのカーストトップにいて。友達7人くらいと授業聞かずに騒ぎまくった結果、学級崩壊が起きてしまった。

いっぱいやってた習い事もやめて、友達とひたすら夜まで騒いでたし、そこに思春期も重なって反抗ばっかりしていました。

中3に上がるときには、もう『強さ』はやり切った感があって、強さではなくうまく生きてくにはどうしたらいいだろう?ということを考えるようになりました。そこで優しさを覚えて、男女問わずみんなと仲良くなれるようになったんだよね。」

 

有り余るパワーの当てどころを見つける

「なんで中2の時あんなに暴れちゃったんだろうって振り返った時、有り余るパワーの当てどころが分からなかったからじゃないかと思ったんだよね。

高校に上がったタイミングで地域研究部に入ったことがすごく大きい転機で、これまで探してた自分のパワーを当てるところが見つかった感覚がありました。

地域研究部はチームを組んで自分たちでテーマを決めて、地域について研究する部活です。例えば、白梅学徒隊の足跡を辿るフィールドワークをしたり観光について調べたり、沖縄の伝統舞踊のエイサーをやったり。

顧問の先生は中学の教頭先生もやってて、僕が中2でめっちゃ暴れてた時にホームルームにやってきて、『宮城くんは学校の恥です』って言ったんだよね。その言葉が高校に入ってもずっと頭の中に残ってて・・・。今思うと地域研究部に入ったのは、迷惑かけた先生の元で頑張りたいという気持ちがあったのかもしれません。

 

うちの学校は学年主任の先生が卒業するまで一緒で、中学の時からたくさん怒られてきました。その先生がエイサーの演舞をしてる僕を見て、『力の当てどころ見つけたな、絶対やめんなよ』って言ってくれたのを今でも覚えています。

自分の中でも『これが正解なのかも』という思いがあって、地域研究部での活動にすごくやりがいを感じていました。」

 

平和教育という新しいやりがい

 

「受験が終わり、沖縄の大学に進学することになったんだけど、高校の友達で同じところに行く人は1人もいないし、当時の彼女や一部の友達は東京に進学して、キラキラしてて羨ましいな〜という気持ちでした。

 

新入生は出身高校で固まるから全然友達できなくて、4月は一匹狼でこれから先どうなるかと不安だったんだけど、新歓をきっかけに先輩と仲良くなって勉強を教えてもらって、春学期はフル単することができました。

 

そして大学入学してすぐくらいの時に、主に修学旅行生向けの平和教育プログラムを作っている会社のインターンに入りました。

高校の地域研究部での活動とも繋がるし、すごくやりがいを感じながら楽しく活動してました。楽しすぎて5~6月はフルコミットして、社長とも仲良くなって。

平和教育のプログラムを作る側のインターンにならないか?と声をかけてもらいました。

もちろん二つ返事で引き受けて、8月までフルでインターンしていました。でもこの会社、人手が全然足りてなくて、インターンになった途端に仕事がめっちゃ増えたんです・・・。3日寝ない日もあったな〜〜(遠い目)

案の定体調を崩して、その後にインターンから大学生スタッフに戻らせてもらいました。」

”夢を語れ”と夢と僕

 「大学生スタッフに戻って少したった頃、その会社が黒字倒産しちゃって。当時の自分は主軸になっていた活動がなくなったので、心にぽっかり穴が空いた感じでした。

団体のルールで髪色をずっと黒髪にしていたけど、これをきっかけに金髪に染めました。いろんな人に会ったり、イベントに参加したりして、いわゆる『意識高い系』の界隈に足を踏み入れたのもこの頃のことです。

また、同じ時期に”夢を語れ”というラーメン屋に出会い、働き始めました。

夢を語れは一般のラーメン屋とは違い、お客さんがラーメンを食べた後に夢を発表するというシステムがあります。人が夢を語っているシーンにたくさん遭遇する中で、自分自身の夢って何だろうともやもや考え始めました。

 

その結果、なんか、とりあえず、『ビッグになりてえ』と思って(笑)

 

休学してアメリカに行こうって思いました。まずはお金を貯めるために働こうと思って、リゾートホテルのレストランのホールスタッフをやりました。そこがとてつもなくブラックで!!!(泣)

1日12~13時間労働で帰ってもご飯を食べる気力がない、みたいな。

結局、半年の契約期間終了まで働いたんですが、終わりが近づくにつれてこの半年で何も成長できてない自分に気づき、絶望しました。僕は大きな時計のチョ〜小さい歯車になるのは嫌で、自分だからこそできることをしたいんだなと。」

 僕を救ってくれた表現活動について

「絶望の原因は『何者にもなれない自分への自己嫌悪』だったんですよね。当時の僕はそれに真正面から向き合うことができなくて、半年働いて得たお金を全部使ってみたり、大好きだった彼女と別れたり、持ってる安定を全て捨てることで変わろうとしていました。

そんな絶望の渦の中から僕を救い出してくれたのは音楽でした。特にヒップホップはみんながリアルを歌ってる。ネガティブな感情もそれを誰かに届けて影響を与えることでポジティブに変わるんですよね。それがめちゃくちゃいいなと思って。今までの僕は形のない正解を追い続けていたけど、リアルをそのまま受け入れることができるようになって。人と自分を比べてしまう癖もなくなりました。

僕もそんな表現活動をしたいと、親友と自分を比べていつの間にか辞めてしまってた絵を描くようになりました。19歳の冬の話です。

絵で食べていくための活動の一環としてアパレルをやっていたんですが、それが案外楽しくて。

あるタイミングで絵で食ってくという夢には折り合いをつけましたが、『周りの才能ある表現者たちをもっと世の中に知ってもらいたい』という新たな夢ができて、それの実現のためにアパレル販売の知識が生きました。表現活動をしてる友達を集めて、それぞれの表現が交錯するイベントを開催したりもしました。

いろんなことをやってく中で感じたことは『1人で成し遂げられるものってめっちゃ少ないんだな』ってこと。アパレル販売を手伝ってくれるカメラマンさんとの出会いや、コラボしてくれるイラストレーターさんとの出会いで、この学びが確信に変わっていきました。」

ラーメン修行の中で気づく 本当にやりたいこと

「アパレルを始めたくらいの時期に”夢を語れ”の店長から『うちで修行しないか』と誘われました。それまではホールスタッフだったけど、ラーメン作る修行しないかってことね。

僕はこの店が好きだったし、何よりも店長のことが大好きで尊敬してたから二つ返事で了承しました。

 

そこから時が経ち、店長がこの店を退くことになって、次の後継者として白羽の矢が立ったのが僕でした。

とってもありがたい話だったけど、自分がラーメン屋を切り盛りしている姿が想像できませんでした。理由は簡単で、僕がこの店で修行してたのはラーメン屋をやりたいからではなく、お店のコンセプトやメンバーみんなが好きだったから。

それゆえになかなか『継ぎません』の5文字が言えなかったんだよね。

そんな時、修行のために訪れた別府の店舗で、”夢を語れ”の創業者と会いました。創業者は僕が店を継ぐことに前向きではないのを見抜いていて、話を聞いてくれました。

『僕、別にラーメンがめっちゃ好きって訳じゃないし、どっちかと言うとクリームパンの方が好きなんですよね』なんて本音がこぼれたりして(笑)

創業者は『やりたいことやったらええやん!!』と率直なアドバイスをくれました。

 

そんなことがあって、僕にとってラーメンは魅力的な人や表現と出会うための、あくまでもツールだったことに気づいて、これからは『魅力的な人や表現』のことを軸に活動していこうと決めました。

 

”夢を語れ”ではたくさんの出会いがありました。僕を三豊に連れてきてくれた颯さんと出会ったのもここなんですよ。僕の人生に大きな影響を与えてくれた大事な場所であることに変わりはないです。」

 

(颯さんのインタビューは次回です。現在絶賛編集中のためお待ちください!)

とうとう出会う!!シーシャと三豊

「大学には一応在学してるけど、全然行ってませんでした。3年生の前期の話です。

その年のゴールデンウィークに友達が東京に行くことになって『電車乗るの不安だから、しんごも一緒に来てよ!』と言われて。僕もずっと沖縄に住んでるし電車の乗り方わからないけど、1人より2人の方がいいかな〜と、なんとなくついていくことにしました。暇だったし(笑)

 

それで東京に行った時に、近々下北沢にシーシャ屋をオープンする人と出会いました。

『ここでは自分の表現したいことや夢を持った人がたくさん働いています。シーシャ屋は店員とお客さんの距離が近いという特徴があって、だからこそただ働くだけでなく自分を売り込める場でもあるんです。』

 

その話を聞いて、僕のやりたいことってこれかもしれん!!と思って。(笑)

周りの才能ある表現者たちをもっと世の中に知ってもらいたいという夢を持ってた僕にとって、シーシャ屋は実践の場所にピッタリだった。この出会いをきっかけにケジメをつけるために大学を辞めて、修行を始めました。

その後、独立することを目指して沖縄のシーシャ屋で働いてたある日、颯さんから連絡がありました。

 

『香川県の三豊市ってところが超おもしろくて、今度そこで中高生向けの探究活動のプログラム(みとよ探究部)を始めるんだけどオンラインのメンターやらない?』

と誘われました。自分は教育者じゃないしちゃんと教えられるか不安で、初めは答えを濁しました。でも、颯さんが『何も教えなくていい、自分が探究してる姿と、今まで自分がかけられてきたような問いを生徒に投げかけることができればいい』と言ってくれて引き受けることにしました。

これが僕と三豊が繋がった瞬間です。

 

みとよ探究部は普段はオンラインなんですけど、半年に一回の発表会の時はメンターも現地に行くことになってて。その発表会の時に初めて三豊にいくことになりました。2022年3月のことです。

その時期はなかなか沖縄でシーシャ屋の物件が見つからず、前に進めなくて悔しい期間でした。

 

発表会後の懇親会では、三豊のいろんなプレイヤーたちに会いました。その時に颯さんのシーシャセットを借りてみんなにシーシャを提供したんだけど、それをとっても気に入ってもらえて。また来てな〜〜って言ってもらえてすごい嬉しかったな〜(笑)」

 

仁尾シーシャタウン計画・・・・?

「三豊から沖縄に帰って普通に過ごしてたある日、『仁尾シーシャタウン計画』という謎のメッセンジャーグループに招待されました。

 

颯さんが作ったグループで、三豊市仁尾町にシーシャ屋を作るためのアドバイザー要員として招待されたみたいでした。メッセージのやりとりをする中で、5月にもう一度三豊にいくことが決まって。そのタイミングでニュー新橋を貸し切ってシーシャイベントを開きました。それがまたまたすごく好評でした。

 

三豊はすごくいいところで、シーシャ屋を欲しいって言ってくれる人もいて、何より自分たちの環境を自分たちで作っていくたくましさが自分にとても合うなと思っていました。沖縄では全然物件が見つからない。気持ちも腐りかけていたけど、『地元沖縄でやりたい』という気持ちが捨てきれずにいました。

 

そんな僕に、颯さんは『とりあえず何も考えずに来い。しんごに必要な環境は全部揃ってると思うから』と声をかけてくれて、三豊に飛び込むことを決断できました。

 

2022年の6月に移住して、GATEでは7月から働き始めました!

そこでの仕事は宿泊施設の”ホスト”だから、迎える側なんだよね。まだ移住して1ヶ月目なのに、来た人にこのまちの魅力を語ってる。なんか不思議だよね(笑)

三豊の仲間になるかもしれない人の一番最初のホストになれるって最高じゃないですか!??? 自分も移住した人間だからこそ、コミュニティマネージャーとしてより具体的な手助けができるってところにもやりがいを感じています。」

 

これからのこと

「とにかくみんなと幸せになりたい!!!!!!

 

この歳になると周りの友達がみんな就職していくんだけど、そいつらが苦しんでいる姿をみたりして。個性を持って生きる人が、その個性を活かして食っていくことは今の社会ではかなり難しいと思います。でも、人生の中で働く時間ってかなりの割合占めてるから、そこが楽しくないと人生は豊かになりにくい。

僕はまだまだ力はないけど、大好きな人たちが諦めず妥協せずに生きられる社会を作りたいと思っています。

 

また、仁尾のニュー新橋をお借りして、シーシャカフェ YUKURUを営業しています。ゆったりとした時間と空間の中でシーシャを楽しむシーシャカフェです。お仕事や作業、打ち合わせ等でもご利用いただけますよ。ぜひ気軽にいらしてくださいね!」

 

編集後記

第2回目のインタビュー。GATEコミュニティマネージャーのしんごさんにお願いしました。私としんごさんの出会いは高校3年生の時。みとよ探究部の部員とメンターという関係性でした。その時からしんごさんは飾らずに真正面から向き合ってくれる人で、いつもかっこつけて本音がなかなか言えない私はそんなしんごさんにかなりの影響を受けています。このインタビューを通して思ったのは、自分のことを客観的に捉える力がすごくある方なんだなということ。苦い経験も、失敗した思い出も、ちゃんと自分の言葉で、逃げずに話す姿がかっこよくて、たくさんの人に愛される理由がわかった気がしました。

シーシャカフェYUKURUでしんごさんが作り出す空間はとても落ち着けるし、なんだか飾らず等身大の自分が出せて、リラックスしたいい夜が過ごせます。

人と表現を愛し、繊細な感性と絶対に起き上がる強さを持ち合わせたしんごさんの世界観に目が離せません!!

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