【GATEと人】#5 え? 三豊ってサファリパークだった!?三豊の猛獣使いになるまで・・・ 森さくらさん – 瀬戸内ワークスレジデンス GATE|地域とつながるシェアハウス

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【GATEと人】#5 え? 三豊ってサファリパークだった!?三豊の猛獣使いになるまで・・・ 森さくらさん

こんにちは!瀬戸内ワークスレジデンス「GATE」のSNSプロモーターを務めている中村彩です♪

ようやく夏休み!たくさん遊ぼうと意気揚々で香川に帰ってきましたが、暑すぎてエアコンの効いた部屋でぐったりする日が続いています。

どうにか元気を出して海水浴とか花火大会とか、夏っぽいイベントを楽しみたいものですね。

 

私が思うGATEの一番の魅力は、ただ宿泊するだけでなく地域の人との繋がりを生み、地域コミュニティに入る玄関口になっていること。「GATEと人」シリーズでは、GATE宿泊者との交流が多く、三豊市で魅力的な活動をしている人にスポットライトを当て、その人の過去・今・未来を長編記事でご紹介しています。

 

第5回目は、「三豊の猛獣使い」という異名を持つ森さくらさんをインタビュー!

さくらさんの経歴としてまず目を引くのが、10年間ケニアのナイロビで生活していたということ。そこでの経験を活かしつつ、今は三豊で食や観光にまつわるさまざまなプロジェクトにパワフルに関わっておられます。

幼少期から学生時代、就職してケニアに渡り、三豊で猛獣使いになるまでの人生をインタビューしてきました!

 

幼少期から学生時代

1973年、札幌に生まれました。3歳の時に千葉に引っ越しちゃったから北海道での暮らしの記憶は全然ないんだけどね。親戚はみんな北海道に住んでるから、夏休みは毎年北海道に遊びに行ってました。
とにかく外遊びが好きな少女で。でも今みたいに遊べるもののレパートリーなんてたくさんないから、公園の遊具を活用してオリジナルの遊びを考え出してたな〜。

 

当時大人気だった『スチュワーデス物語』ってドラマに憧れて、将来の夢はスチュワーデスでした。

小学校高学年から中学2年くらいまでが反抗期で、屈折した反抗をしてました。ヤンキーみたいな反抗というよりは、どっちかというと厨二病的な・・・・(笑)
先生と喧嘩して、親とも喧嘩して。。この時期はすっごく暗黒期。

部活はソフトボール部に入ってたんだけど先生と喧嘩しちゃって、中学3年生になった頃に辞めてしまいました。

早く辞めたことでやることがなくなって、勉強に本腰を入れたら、そのタイミングで良い塾の先生と巡り会えたこともあって成績がぐんぐん伸びました。その時初めて勉強楽しい!って思って、夢中で机に向かっていたのを覚えています。

高校は落ち着いた人が多くて、良い友人もできて、平和な3年間を過ごしました。バスケ部に入って部活は頑張ってたけど、あんまり勉強はしなかった。現役で明治大学の短大に進学しました。

 

進学したはいいものの、びっくりするくらい全然通わなかったんだよね〜・・・

花屋のバイトにハマったから!ほぼ毎日花屋に通うみたいな(笑)

短大の卒業が近づいて、進路を考えなきゃいけないのに、花屋になろっかな〜とぼんやり思うくらいで。でもある時大学の食堂に行くといっつも遊んでた友達が熱心に履歴書を書いてたの。それを見て、「私スチュワーデスになりに短大来たのに何やってるんだろう・・花屋やってた・・・」と思って。

ちょっと出遅れてしまった感じはありつつも、興味のある分野に挑戦してみようと、気持ちを切り替えて旅行系の会社をいくつか受けました。

 

卒業旅行で向かったのは?

仲のいい友達と2人で、短大の卒業旅行に行くことにしました。人権問題とか、そういう話を真剣にできる友達で。この際だから、なかなか行けないところに行ってみようという話になったの。選んだ場所はケニア。

行く前に奴隷貿易の歴史の本を読んで見たりして、光の面と影の面のコントラストがとても激しい国だと知りました。

実際行ってみて、背が高くて堂々としてるケニア人に囲まれるとなんだか圧倒されてしまいました。サファリツアーに行ったときに目にしたのは何にもない光景。”何もない”という言葉でしか形容できない場所が本当にあるんだ、と衝撃を受けました。今まで千葉や東京で生活してきたからこその強い衝撃でした。

 

「ナイロビの旅行会社で働く人募集」

無事短大を卒業し、航空会社系列の旅行会社に入りました。この旅行会社の目的は、飛行機の席を埋めるために航空券付きツアーを販売すること。この部署だけでひとつの会社と感じるほど、部署内で幅広い業務があって、旅行会社の仕事の流れを全部見れることがすごく学びになって、面白かったの。

 

3〜4年くらい働いて、ふと、海外に住んで、働いてみたいな〜と思いました。今振り返ると、ずっと”私がいるべきなのはここじゃない感”があって、それは反抗期が終わって大人になってもずっと静かに心の中にしこりとして残っている感情でした。

でも当時は海外の仕事なんて探せなくて、活かせそうなスキルも持ってないからとりあえず日本語教師になる勉強をしようかなと会社を辞める決意をした・・・そんな時、卒業旅行で使った旅行会社から届いたチラシの中に小さく「ナイロビの旅行会社で働く人募集」と書かれてたんです。これだ!と思って、申し込んだら採用していただけました。

ナイロビでの就職が決まって周りに報告したら、親も友達もとにかくびっくりしてた(笑)でも仕事があるんならいいんじゃない?と背中を押してくれました。

就職が決まってから出発当日まで、とにかく楽しみな気持ちの方が大きくて、親しい人との別れを寂しがることもなかったんだけど、飛行機に乗って離陸した瞬間に涙が溢れてきたのをすごく覚えてる。寂しかったのか怖かったのか、不安だったのか、あの時の感情は今でもわからないけど、とにかくぶわ〜って涙が出てきたの。

 

気づいたら10年経ってた!ケニアでの生活

そんなこんなで始まったナイロビ生活だけど、困ることはそんなになかったんだよね。食事は豆を煮ただけとか、野菜を煮込んだだけとかシンプルなものが多くて、でも素材がとっても美味しいから全然良かった。にんじんは日本で食べたことないくらいの甘さでとてもびっくりしました。そのほかのお野菜もしっかり味があってそのまま食べても十分美味しいんだよね。果物はとっても安くて種類もたくさんあって、、、マンゴーが10~20円で買えちゃうの!!日本だと考えられないよね。

会社の近くにフルーツ売りの人がいてその人から買って、昼食はいつもフルーツを食べてました。

 

2000年には、仕事でケニアに来ていた主人と知り合い、結婚しました。

2004年に長男を出産したんだけど、ケニアではメイドさんに家事をお願いしている家も多く、私もお願いしていました。そのおかげで、産後2ヶ月くらいから仕事に復帰!仕事をするには最高の環境だったけど、ずっとメイドさんに家事をお願いしていいのかな・・・ってちょっと疑問に思ってしまって!

 

それと同時期に、ケニアでやりたいことは全部やり切った感覚もあって、日本への帰国を決めました。2006年のことです。

 

慣れない土地で

日本では、主人の出身地でもある三豊で、新生活がスタートしました。でも、仕事なし、友達なし、さらに日本の寒さが久しぶり過ぎて、あの時期は本当に人生どん底くらい、辛かったですね。

そしてなんとか子供を預かってもらえる保育所を見つけて、仕事を得ることができました。

一つ目のお仕事は観音寺市にある西岡家具さんでした。お店の空気感が好きで、「ここで働かせてください」って飛び込んでました。少しして社長から連絡が来て、「近々カフェをオープンするんだけど、そっちで良かったら働いてくれませんか?」って。もともと、食が大好きで。料理を作るよりは食べる方が好きだけど、レシピ本を見てどうやって料理が出来上がってくのかを知ることがすごく楽しくて。食を仕事にできるのはとっても嬉しかったです。素敵なお店のオープンに関わることができて、いい仕事のスタートを切らせてもらいました。

 

三豊の猛獣使いになるまで

次男を出産後、ずっと家に籠っていた時期があるのですが、家に付いてる防災無線でずっと「三豊観光大使募集」のお知らせが流れてて。あまりにも何度も流れるもんだから、途中から、これ私に言ってるんじゃないの??って思えてきて、応募してました(笑) 採用していただいて、2年半ほど大使を務めさせていただきました。

そこの繋がりで、2011年から、FM香川の「週刊みとよ ほんまモンRadio!」という番組のブログ担当をさせていただくことになり、10年間、三豊の情報を毎日発信していました。さらに、三豊市観光基本計画を作成する委員を拝命したり、「みとよ100年観光会議」という市民団体で、仲間たちと何ができるかを真剣に話し合う時間も過ごしました。

このインタビューシリーズでも、たくさんの人がこれからも紹介されていくと思うんだけど、三豊はチャレンジ精神旺盛&個性豊かなメンバーがいっぱいなんですよ。 気がつけば、三豊が猛獣いっぱいのサファリパーク見たくなっていて・・・(笑)

なので最近は、「三豊の猛獣使い」と呼ばれながら、ケニア時代の経験も活かしつつ、今ある三豊の魅力を形にしていく仕事をメインにしています。

そんな元気ある街なので、たくさんの人が訪れてくれるようになったのですが、そこへの旅の手配やガイド、食のおもてなしなど、私の好きと得意を活かした仕事にお声かけいただきながら、常に私もチャレンジしながら取り組ませてもらってます。GATEを運営している瀬戸内ワークスでは主に、三豊に視察に来る方の手配やご案内をしたり、新しくできたゲストハウス向けの食事サービスを企画させていただいてます。GATEの手伝いをすることもあります。三豊に滞在する方に、最大限楽しい時間を過ごしてもらいたくて、チェックインサポートでお会いした方には、おせっかいかと思われるくらい三豊の情報をお伝えしちゃいますね。

 

三豊に縁のある方には、たくさんの人に会ってほしいし、楽しんでもらいたいって思いながら、仕事・・・なのか、おもてなしをさせてもらってます。

 

みんなが立ててる旗の間を泳ぐ小舟みたいな?そんな働き方をしてきたし、これからもそうなのかなって思っています。

 

わたしの好きな景色

自宅の前に広がる平野の景色がいちばん好きかも。

朝日がとても綺麗に見えて、秋には畑いっぱいのコスモスが見られます。

あとは散歩ルートの中にある、家から20分くらいの裏山にもお気に入りスポットがいくつかあって。でもこの前、ふきのとうが生えてるお気に入りの小道に久しぶりに行ってみたら草がいっぱいになって通れなくて。お掃除してくれてた方が居なくなって、どんどん荒れていってるんだよね。私は私のできることを、地域のためにしたいな、と思う日々です。

編集後記

第5回は森さくらさんにインタビュー!取材が始まる前、「わたしの人生なんてほんと行き当たりばったりで・・・」、取材中は何度か「大丈夫??ちゃんと記事になりそう??」と仰ってたさくらさん。しっかり読み応えがある記事にできたと思います。

行き当たりばったり、というか海に飛び込む勇気と波を乗りこなす器用さを持ったたくましい方なんだなと思いました。

そしてケニアに対する興味がもくもくと湧いてきました・・・お料理が美味しい国は全部いってみたい・・・

さくらさんのパラレルワーカーとしての働き方、GATEに宿泊される方の参考になる部分もあるのではないでしょうか?この連載では、三豊でのさまざまな働き方の選択肢を皆様にお伝えできるように。ということも心掛けながら鋭意執筆してまいります!!

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