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【GATEと人】#7 美味しいごはんで人と人の繋がりを生む 浪越弘行さん
こんにちは!瀬戸内ワークスレジデンス「GATE」のSNSプロモーターを務めている中村彩です♪
春の訪れが少しずつ感じられるようになってきました。私が通う大学では、春に池のほとりで日向ぼっこをする人たちの姿がよく見かけられます。気持ちよくてお昼寝しちゃうことも。起き上がると服が草まみれで後悔するところまでがワンセットです(笑)
私が思うGATEの一番の魅力は、ただ宿泊するだけでなく地域の人との繋がりを生み、地域コミュニティに入る玄関口になっていること。「GATEと人」シリーズでは、GATE宿泊者との交流が多く、三豊市で魅力的な活動をしている人にスポットライトを当て、その人の過去・今・未来を長編記事でご紹介しています。
第7回目は、浪越弘行さん。cafe de flotsという海辺のカフェを経営しながらさまざまな挑戦を続ける浪越さんの素顔に迫りました。
料理人になるまで
仁尾町で生まれ育ちました。高校は観音寺第一高校という地域の普通科の高校に進学。特に将来したいこともなかったので、当時の学力で行けるところを考えて福岡にある工業大学へ進学しました。アイスホッケー部に所属していて、4年間ずっとそれに打ち込んでいました。勉強には全く興味を持てなかったな。
就職も「行けるところに行く」という感じで、内定をもらった東京の企業に入りました。サラリーマンになったらなんとなく幸せになれるのかな〜と思っていて。結婚して、子供ができて、みたいなことを想像していました。
就職して3ヶ月。同僚の働き方や生き方をみて、ここには自分の幸せはないと思いました。上司は「まずは1年頑張ってみろ」と言ったけど、自分の気持ちは変わりませんでした。
「人の近くで働きたい」と思ったので、飲食業界に入ることにしました。
知識を得るために本を読んで勉強するようになりました。これが人生で初めて主体的に学んだ経験です。だから、若いうちからやりたいことを追いかけて努力している三豊の子たちを見てると、ほんまにすごいなって思う。
東京から福岡に戻り、いくつか面接を受けて、とあるレストランバーで雇ってもらえることに。
初めはバーテンダー志望だったんだけど、「今バーテンダーは足りてて、キッチンの人がいないからそっちに入ってもらえない?」と言われて。経験の無い自分を雇ってくれたことに感謝しかないので「やらせてください!」って言いました。
そして初めて、シェフが使う牛刀包丁を握った時「ビビビッ」と来ましてね。
かっこいい!運命だ!みたいな。料理はすごい面白いぞと思って、初めは先輩に怒られてばっかりだったけど、それでも料理はすごく楽しいと感じました。給料の全てを食材費に充てて、休みの日もずっと練習しました。
会社を退職するとき「28歳になったら地元に帰って、店を出す」と決めていたので、時間はありませんでした。店をいくつも掛け持ちして、洋食を軸に和食とコーヒー、音楽や経営も勉強しました。
そして28歳の4月。貯金30万円で地元に帰ってきました。そして8月にcafe de flotsをオープンしました。
cafe de flotsに込めた思い
お金も場所も無い中で準備を始めました。
最初は自転車に乗って仁尾町内を駆け巡りました。どこで飲むコーヒーがいちばん美味しいのかなって思って。そして見つけたのが、今の場所です。
当時は使われていない工場でした。そこの社長さんにお願いしてなんとかOKをもらうことができました。そして3ヶ月後にスピード開店!
「cafe de flots」の”flots”はフランス語で「波」や「〜の流れ」という意味があります。
「瀬戸内海の波が見えるこの場所で、”浪”越さんが、いつもとは違った時間の流れを作る」という思いで名付けました。
店の外観は工場の状態からほとんど変更しなかったんだけど、内装はイメージがガラッと変わるように工夫しました。
今でこそ、三豊にもカフェがたくさんあるけれど、当時はカフェって何?って状態だった。
2000年くらいに東京で初代カフェブームが起きていたけど、まだまだ地方には伝わっていなかったんです。僕は運よく大学卒業後そのブームに触れることができたので、それを三豊に持ってくることができました。
初めはなかなか理解が得られなかったけど、女性を中心にお客さんが増えました。
当時は女性が集える場所がなかなか無くて、この店がそういう需要に答えられたんだと思います。
10年周期でやりたいことが見えてくる
今はcafe de flotsだけでなく、ku;belという宿を経営したり、塩職人や団欒職人としても活動しています。
これは、自分の中でずっと思い描いていた夢を一つずつ叶えていった結果なんです。
<ku:belとは>
父母ヶ浜のすぐそばにある薪火グリルと団欒を目的とした体験型宿泊施設
HPはこちら
カフェを作ろうと奔走していた20代の僕が「団欒」なんて考えることはなかった。だけどcafe de flotsをオープンして、夢を叶えて、するとこれが手段になる。
これを使ったら、次の夢を叶えられるなっていう絵が見えてきます。
カフェをオープンした28歳の時に「たぶん10年後、自分は別のことをしてるんじゃないかな」というお告げみたいなものを感じ取って。本当にその通り、10年周期で次にやりたいことが見えてきています。
カフェの次は、地方創生が必要だと思って料理を使ったまちづくりの活動を始めました。そこで学んだまちづくりの知識を生かして、次はケータリングや出張料理人、そして塩職人も始めました。その場所で団欒の素晴らしさを知って「これをどうやったら伝えられるかな」と考えた時、宿泊施設が必要だと思いました。塩の味が生きる薪火料理と出会って、ku;belを立ち上げました。
こうやって振り返ってみると、全部が「目的と手段の繰り返し」だなと思います。
今いちばん頭の中を占有していること
今は「ど部」がいちばんアツい!
「みんな繋がってるんだよ」っていうことを何かの形でデザインしたいとずっと思っていて。僕はよく「団欒の会」をやっているけど、そこからもう少し広げて境界線を無くした公共性の高いプロジェクトが必要だと思いました。
初めは「山を綺麗にしたい」と考えていて。みんなで山を清掃すると、海に流れてくる水が綺麗になる。そして塩も美味しくしちゃおう!っていうストーリーを描いていました。でもそれじゃあ壮大すぎて、みんなが当事者意識を持てない。
どうしよう・・・って悩んでいた時に引っかかったのが、仁尾町の真ん中を通っている運河のことです。僕はもう47年生きているけど、あの運河の掃除をしている人を見かけたことがありませんでした。ひょっとして、50年近く清掃されていないのでは?と気づき、じゃあここを掃除することから始めようと思いました。
まちの人にとって身近な仁尾運河を掃除するという歴史を作ること、生きているうちに仁尾運河が綺麗になることで「じゃあもっと上流も綺麗にしたい」という次の世代へバトンを渡せるんじゃないかと思いました。
近くに町役場や中学校があるから、活動している姿を見て飛び入り参加することもできます。これから、自転車みたいにペダルを漕いだらそのエネルギーで汚れが落ちるみたいな装置を作りたいと思っています。1分でもいいから、暇つぶしでもいいから、気軽に関わってもらえる方法を模索したいです。
このプロジェクトの最終到達点は、運河が綺麗になることでも山が綺麗になることでもなくて「主体性を持って生きる人が増えること」なんです。だから今は「ど部」だけど、この到達点により良く行ける方法があるなら、活動はどんどん変化すると思っています。
団欒の会について
最近は「〇〇の団欒」という会をたくさん開いています。一つのテーマやゲストを決めて、それについて料理を囲みながらお話しする会です。過去には「政治の団欒」、「アイリッシュ音楽の団欒」、「U-25の団欒」などを開催しています。
基本は僕が繋ぎたい!と思った偏愛の変態さんを主役にして、その人を主役に団欒を組みます。ずっと平日の夜開催が多かったですが、子育て中の方など、お昼の方が来やすい人もいるかなと思って土曜日の開催も増やしています。
初めましての人が多い中で濃厚でディープな話が繰り広げられていて、とても独特な空間になっています。
これからやりたいこと
第一線で挑戦をし続けたいと思っています。
それと同時に、20代・30代の子を引っ張り上げたり、殻を破るお手伝いをしたりしたいと思っています。若い人たちにアドバイスをするには自分も挑戦し続けなきゃ、言葉に効力が無くなるので頑張りたいです。
最近は「焚べるラジオ」というラジオ番組を、三豊で出会った東京の大学生と始めました。
大学生の日常の悩みを僕の視点で答えていくという内容です。
ぜひ「焚べるラジオ」で検索してみてください!
編集後記
今回はcafe de flotsの浪越さんにインタビュー。ずっとこの企画で取り上げたい方だったので、念願が叶ってとても嬉しいです。
浪越さんの優しい表情、おいしいお料理、いつも新しい視点をくれるお話し、神奈川にいてもふと思い出して、発作のように「cafe de flots行きたいよ〜〜〜」と唸ることがあります。まだ行ったことがない方は、ぜひお早めに訪れることをおすすめいたします!!
最近は、浪越さんがお店の中で作っていた団欒が、どんどんまちに、広範囲に広がっていっている気がして、とても嬉しいです。まち全体が団欒の会のような和やかな雰囲気を纏っていっているように思うのです。
過去・今・未来も三豊の第一線で活躍し続ける浪越さんに目が離せません!!